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平成26年 8月号 No.128


コイの洗い


上の画像の容器の底には氷でも敷きたいところなのだが、その場で食べる料理店でのシーンを想定したものではなく、パックして販売することを前提としているので、残念ながらそういう訳にはいかない。

コイの旬は寒鯉と呼ばれる冬の時期が脂の乗りが良くて美味しいと言われ、脂質含有量は約6%、タンパク質含有量は17%くらいで海の白身魚とほぼ同じくらいであり、養殖ものは天然のものより脂質含有量が少し多くて10%程はあるということだ。

このようにコイが美味しいのは冬だと言われているのに、今号では敢えて夏の真っ盛りの8月という時期にコイのことを取り上げるのは、コイ料理の中の「洗い」という夏向きのサッパリとした食べ方がこの暑い夏にはピッタリだと感じるからである。

コイの洗いの作り方
1,包丁の峰で頭を叩いて気絶させる。 9,腹骨の下に包丁を入れる
2,尾ビレの際から包丁を入れる。 10,反対の身も腹骨を除去。
3,背身を切り開いていく。 11,腹ビレを除去する。
4,頭を切り落とす。 12,皮を外引きで除去する。
5,背骨を切り開く。 13,半身のまま柳刃で薄く切る。
6,苦玉を潰さないよう内臓を除去。 14,60℃前後のお湯で湯洗いする。
7、中骨を下にして背から切り開く。 15,身が縮んだら氷水で洗う。
8,尾の方へ切り進め分離する。 16,しっかり水切りをする。

ところで、これがコイの洗いの作り方だが、読者の皆さんはこのようにして作ったコイの洗いを実際に食したことがお有りだろうか。

食べる魚に関係する仕事に従事している人達でさえ、コイの洗いは見たこともないし、もちろん食べたこともないという人は珍しくないのではないかと思う。

今やスーパーの魚売場にコイの洗いが陳列されているのを見かけることは少なくなっているだけでなく、生きたコイを仕入れて解体し商品まで仕上げることの出来る技術と知識を持った人はほとんどいなくなっているようなのだ。

なぜなら、合理化や効率化を先を争うように進めているスーパーの魚売場にとって、コイの洗いというような売れるかどうか分からない商品は、まさに一番真っ先に定番商品から切って捨てられるような存在でしかないようだからである。

何と言ってもコイという魚を生きたまま仕入れること自体が、今や簡単ではないというのが偽らざる事実であり、今号の企画に当たって生きたコイを仕入れるのに苦労し、近くの川魚店に購入しに行っても「注文があれば仕入れる」ということなので店に在庫はなく、結局郊外へ足を伸ばしてコイの養魚場まで仕入れに行くことになってしまったのだった。

そこにはプロの業者としてではなく、普通の一般客として訪問したが、上画像のように酸素と水と一緒にビニール袋に入れてくれた1.2kgのコイの仕入れ価格は900円/kgだった。

1尾あたりは1,080円ほどとなり、巻頭画像の洗い商品にしたところ原料原価だけだと約270円と計算することが出来た。

この商品が売価に換算してどれくらいの価値があるのかは読者の判断に委ねるとしても、原価としてはそれほど高いものではないということは理解してもらえると思う。

このように価格で見ると庶民に手が出ない高級品などではないのだが、今やコイは食べる魚の対象としてはみられなくなってしまっているのが、現在の日本における紛れもない事実なのである。


しかし日本の食文化を考えてみると、コイという魚はその存在を抜きにして語れないほど重要な位置づけにあることは知っておくべきだろう。

例えば、Monster Carp Fishing in Japanの - 日本の食文化と鯉 - のページでは、コイ料理の日本における歴史的な一つの側面が記されているので、以下にその中身をそのままの内容ではなくポイントを抜粋してお伝えしよう。

古事記や日本書紀では、コイを含めて多くの魚介類の料理が登場し、日本では古代から魚の食文化が発達していたことが伺える。

奈良時代の食文化は獣肉への依存度は小さく、魚肉の重要度が高まった時代であり、魚肉の中でも特に淡水魚のサケ、マス、アユ、コイ、フナなどが最も重要な魚であった。

当時は「魚がいちばん、鳥はそのつぎ。魚のなかでは川魚が上、海の魚は下、魚のなかではコイがいちばん、スズキがこれにつぐ」と言われていた。

その背景としては、内陸の京の都には鮮度のよい海水魚が運ばれにくく、淡水魚は手近なところで取れる新鮮な魚肉だったことが大きな理由と考えられる。

桓武天皇が平安京に都を移した平安時時代は日本の魚料理の原点が出揃った時期であり、なます、すし、あつもの、あえもの、塩漬け、酢漬け、焼き物、つつみ焼き、蒸し物などがすでにできあがっていた。

鎌倉時代の作品である徒然草にも鯉料理が御前料理として登場し、室町時代の「四条流包丁書」では「コイの調理こそが料理である」と明記されており、淡水魚優位はこの時代にも続いていた。

こうして日本の食文化を眺めてみると、農耕文化が発達していっても獣肉より魚肉が中心となっていたが、これは天武天皇時代の影響が後々まで残っていたと考えられる。

それは、676年に天武天皇は「食肉禁止令」を発令し、牛、馬、犬、猿、鶏の肉を食べてはいけないというものだったが、これに至る時代背景としては仏教が盛んになって四足動物を忌み嫌い、魚を尊ぶ風潮が生活に固定されていたからである。

この禁止令が後の奈良、平安、鎌倉時代の食文化、さらにはそれ以降の「魚食日本」を決定付けたと言っても過言ではない。

しかし、江戸時代になると江戸の将軍のお膝元でタイが賞味されるようになったが、これは江戸の前に海を擁しているため新鮮な海の魚介類が豊富に流通したためと考えられ、この時代にはタイとコイの優位性が逆転し、タイが「大位」と称されたのに対して、コイは「高位」から「小位」の字があてがわれたのだ。

日本において長い歴史を持つコイ料理だが、一般的にコイは焼き魚にはされなかった。その理由はコイの焼き物が切腹前の御供膳(おみおぜん)として使われたことから「コイの焼き物は不吉の場合のお膳」として見なされていたからである。

この記述にあるように、日本においては昔からコイは魚の品種の中で普段はめったに食べられない別格の高級品であり、コイを食べると病気が治るとか、力が出ると信じられるいっぽうで、逆に神秘的な動物であるので食べてはならないという別の考え方もあったようである。

このように、昔からコイという魚は日本の魚食文化の代表的存在として位置づけられていたのだが、現代の日本においての「食べるコイ」というのは専門の川魚料理店などで供されることはあっても、昔に比べると一般家庭の人がスーパーでコイを買って食べるというシーンは、日本において間違いなく少なくなっているのである。


いっぽう同じコイでも観賞魚としてのコイである「錦鯉」は、日本だけでなく世界中で関心を抱かれて広まっているようで、錦鯉は英語名でも「koi」とよばれている。

例えば下の画像は筆者がペットショップで稚魚を1尾500円で購入し現在も飼っている錦鯉なのだが、とても食欲旺盛で元気に動き回り、成長が非常に早く、水槽の中を我が物顔で泳ぎ回ることから、他の魚は隅に追いやられていると感じるほどの存在感を見せている。

錦鯉は「食べるコイ」ではないから興味がなければ読み飛ばしてもらっても構わないが、錦鯉も鯉の一種なので少しだけその歴史的沿革にも触れてみたい。

そもそも錦鯉の出現はいつ頃からなのかの正確な文献はないようであり、一般的には新潟県の山古志や魚沼地区を含む小千谷市付近ということであり、天明年間の頃から食用としてだけではなく愛玩用としてコイを飼育したことから始まったと言われている。

この地域は山地のために耕地も宅地も傾斜地に造られていて灌漑用水も不足することが多かったため、大小の溜め池があちこちにつくられ、ここに冬の間は道が雪で閉ざされても動物性タンパク質の摂取に困らないようコイを飼育していたようだ。

ところが、非常用の食料として飼育していたコイの中から、ある時突然変異で色のついた「色鯉」が出現し、その色鯉は「錦鯉」という名の愛玩用として飼育され始め、その飼育が盛んになったのが天保年間(1830年〜)の頃だと言われている。

それ以降錦鯉は明治・大正の頃には「越後の模様鯉」とか「越後の変わり鯉」として日本全国に広がることになり、真鯉と緋鯉を二大先祖として次々と品種改良され、今や80種類以上の錦鯉が世界中にKoiとかNishikigoiという名前で広がっているのである。


さて、更にまたこれも「食べるコイ」とは関係ないことなので下の画像も無視してもらって結構なのだが、一応これは立派な額縁に入れられた「コイの水墨画」である。

これは筆者の自宅の壁に掛けてある「水墨画の巨匠円山応挙が平成2年に描いた作品?」というのは冗談で、14年前に亡くなった父が平成2年に描いた作品である。

いつも自宅の居間の壁でひっそりとしていて決して公の場にでることはないのだが、この度ネットを通じて世界の目に触れることになったのだから、亡父も墓場の影で驚いていることだろう。

冗談はさておき、なぜこんな例を出してきたかというと、コイというのは上記したように日本の食文化の中心的位置づけであったことはもちろんなのだが、そのいっぽうで江戸時代中期に活躍した円山応挙などが好んで描く芸術的対象物でもあったのだ。

円山応挙「鯉図」 出典「水墨画の巨匠 応挙」講談社

コイというのは、神秘的で、超自然的力が与えられている特別な魚であると捉えられていたようで、数多くのコイの水墨画や浮世絵として描かれている。

そしてコイは「力強い勇気の象徴」として見られていたことも、端午の節句の鯉のぼりなどから理解することが出来る。

端午の節句は中国でおこなわれていた風習のようで、その日は邪気をはらって健康を祈願する日とされ、菖蒲酒を飲む風習があったとのことだ。

そしてこの風習はやがて菖蒲の節句として日本に伝わり、江戸時代に入って菖蒲が尚武(武道を大切にする精神)と同じ読みであることから、武士階級で男児のための節句として定着していったようだ。

武家では家紋を印した旗指物(はたさしもの)やのぼりなどを家の前に並べ、健康と出世を祈ったが、江戸後期に入ると町人階級が5月の空を水に見立て鯉のぼりを立てる習慣が定着していったようである。


さて「食べないコイ」の話題はこれくらいにしておいて、再び「食べるコイ」のことについて触れてみよう。

コイは雑食性でシジミやタニシ、昆虫、藻類や水草などを主な餌としているが、喉の奥には3列に並んだ咽頭歯という臼状の歯があって、この歯で固い殻を持つタニシやザリガニなどをバリバリ噛み砕いて食べ、その咽頭歯の圧力は10円玉を半分に折り曲げてしまうほどだと言われている。

餌を食べるときは泥ごと口に入れ、食べ物だけを噛み砕いて、泥や貝、蟹の殻だけを吐き出すが、コイは胃がないので食道部から消化酵素を分泌し、腸でタンパク質はアミノ酸になり、炭水化物はグルコースなどの単糖類に分解してから消化吸収するらしい。

このためコイの腸は胃のある魚よりも長くなっていることから、コイを清ジメ(約2週間のエサ抜き)せずに調理すると泥臭さが残ってしまう点は注意しなければならない。

コイは成長の早い魚で、普通オスは2年、メスは3年で成熟するといわれ、成熟した鯉は水温が15度以上になる4月頃から産卵を始める。

コイの原産地は中央アジアということであるが、日本にも古くから自然分布していたことが福井県や長崎県の第3紀層(1600万年前)の地層からコイの化石が見つかったことで分かっているとのことだ。

コイを昔から食べてきたのは日本だけでなく、コイは世界に広く分布していることから世界のあちこちで食べられてきた歴史がある。

例えば中国では「諸魚の長」と呼ばれているように「魚」といえばコイを指すほどの位置づけであり、コイ料理の一つである「鯉の丸揚げ甘酢あんかけ」などは日本でも人気メニューとなっている。

隣国の韓国でも鯉はよく食べられるようで、身は刺身にして、コチジャンやニンニク、薬味を挟んでエゴマの葉やサンチュで包んで食べるとのことだ。

またヨーロッパでもコイはよく食べられており、十字軍の遠征でコイがアジアからもたらされたのが十四世紀以降のことであり、それからドイツを中心にコイの養殖が盛んになったようだ。

ドイツでは内臓を除去し鱗はつけたままのコイを丸ごとワイン煮したものが祝宴の時に出されるし、西欧のオーストリア、南欧のギリシャ、東欧のポーランド、チェコ、北欧のハンガリーなどでは、コイ料理はとてもポピュラーな料理である。

特にクリスマスにはコイを食べるとお金持ちになるという言い伝えがあり、香草グリル、スープ、フライにして食べるが、なかでもオーストリアでは、骨と内臓をとってその中に具を詰めた「コイのつめ物の赤ワイン煮」が代表的なクリスマス料理の一つとということである。

また東欧のブルガリアでは、クリスマスではなく聖ニコラスの祝日(12月6日)に聖ニコラスの使いとされているコイを食べる習慣があり、また中東のイスラエルのユダヤ人は安息日や神聖な日にはコイを食べ、同じ中東のアラブではコイの鱗を付けたまま背開きにして、塩と特性のタレを塗り、大型の魚焼き器に挟んで焼き上げ、その身を手でむしって食べる料理があるとのことだ。


こうして世界中でコイは食べられているのが理解できると思うが、食品として栄養面でも優れた面があり、その身はビタミンB1を多く含み、タンパク質、脂質、カルシウム、鉄に富む滋養食品ということで、昔から心臓や呼吸器の病気の特効薬とされたほか、産後の肥立ちの栄養食としても重宝されてきた。

平成8年(1998年)に宮崎県水産試験場が行った「鯉のエキス入りドリンクの開発」についての事業報告書によると、焼酎によって鯉のエキス分を抽出した結果、鯉のエキス成分中には、健康性機能成分として知られているタウリン(113.93mg)、ヒスチジン(36.59mg)、グリシン(7.48mg)、アラニン(9.21mg)、グルタミン酸(16.96mg)等が含まれていることが分かったということだ。

このように栄養価も高いコイは世界中で色んな形の料理となって食べられているけれど、今の日本においてはほとんど食べられなくなってしまってたのは上記したとおりである。

優れた食材としてコイという魚に消費者がもっと目を向けてくれるようにするには、魚を提供する側がコイという魚を頭から無視するのではなく、もう一度売上げの可能性のある商材として見直しほしいものである。

最後に、日本のコイ料理の代表でもある「鯉こく」を紹介して本号は終わりにしよう。

鯉こくの作り方
1,鱗を付けたまま輪切りにする。 6,砂糖とミリンを加える。
2,頭の半割も使う。 7,醤油に白味噌を加える。
3,酒を加えた水を火にかける。 8,醤油と味噌に煮汁をかける。
4,煮立ったら火を弱める。 9,よく混ぜ合わせる。
5,アクを取りながら火を弱める。 10,鍋に味噌ダレを流し込む。



更新日時 平成26年 8月 1日


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