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平成25年 11月号 No.119


シドニーフィッシュマーケット


オーストラリアのシドニーには、南半球で最大の魚市場がある。その名前は「シドニーフィッシュマーケット」である。

筆者はこれまで日本だけでなく世界の魚屋さんや魚市場を色々と訪ねてきたが、10月末に初めてオーストラリアへと足を伸ばしたので、その魚事情を報告しよう。

先ずはオーストラリアの南端沖にあるタスマニアは「水産物の宝庫」と聞いていたので、一番の優先順位で、その「魚事情」を調べるためタスマニアへと向かうことにした。


 

Australia map Tasmania map

シドニーからタスマニア州南部にあるホバートへ直接行く予定であったが、乗り継ぎがうまくいかず、メルボルンを経由してホバートへと向かうことになった。

タスマニアは北半球の緯度で丁度北海道の位置にあたり、大きさも北海道とほぼ同じで、人口は約50万人、その内の20万人が州都ホバートに集中している。ホバートは南極に近い距離に位置していることから昔は捕鯨の基地として発展し、歴史は古くシドニーに遅れること16年、1804年に街の建設が始まったということだ。捕鯨と言っても目的は鯨油を採ることで、肉は活用されずに棄てられていたとのことだ。

そんな歴史がある街で魚食の事情はどんなものかと調べていくと、ホバート市内のcolesというスーパーの肉売場の一画に魚がいくらか並んでいるものの、フィーレやボイルエビなどが中心で、丸の魚は全く1尾も並んでいなかった。

その様子は以下の3枚の画像を見て、その内容を想像してほしい。

 


ホバートから東部の位置にあるポートアーサーへ行く途中、海岸縁に魚屋があった。そこでは筆者の感覚からはとても驚き、そして唖然となったしまったことがあった。

それは、その魚屋さんの全ての魚商品の品揃えがこれだけだったからだった。

仮にもFISH MARKETなのだから「これではあんまりだろう・・・」と思ったのだ。

冷蔵ケースの中はほんの少しだけの魚しかなく、たぶん画像で見ても多少は判るように、魚の表面は干からびたようになっており、フィーレは嫌な感じに変色していた。日本の常識的な魚屋さんの鮮度感覚からすると、本当に寒々となる恐いものがあった。

これがタスマニアにおける魚事情の実態の一つだと受け止めなければならないようで、こんなことではとてもタスマニアを「水産物の宝庫」とは言えないと思ってしまった。


しかし思い直して、タスマニアの水産物としては有名なタスマニアサーモンの養殖場を、外側からでも様子を見られないものだろうかと思い、西部のHuonへと車で向かった。

タスマニア及びオーストラリア全土の車の通行は日本と同じ左側通行であり、郊外の道は高速道路でなくても普通に時速80qは出せる所が多い。行きかう車の運転マナーもなかなか紳士的で、レンタカーの運転は楽なものだった。

その中で唯一「ラウンドアバウト」と呼ばれる交差点だけは、既にこれまでアメリカやイギリス、そしてフランスなどで何回も経験しているけれど、やはり日本にはなくて慣れない交差方式なので運転していて一番気を遣う場面であった。このラウンドアバウト以外は日本とほとんど同じだから運転は特に気にならなかった。

そしてタスマニアでは約70%が日本車ではないかと思うほどの日本車天国であった。オーストラリアでは、車は左側通行で、速度表示もmile/hではなくkm/hであり、アメリカのようにハンドルを左に構造変更する必要もなく、日本仕様のままで売り込むことが出来るので販売面で都合が良いのだろうと推測した。


西部のヒューオンは東部のポートアーサーから150kmほど離れた場所だが、Huonsalmonの産地として日本でもよく知られている鮭の養殖場があるところだ。

この鮭は北半球の大西洋鮭(アトランティックサーモン)を南半球に移植したもので、水温などが養殖に適していることから養殖業はこの地を代表する地場産業となっている。一般的にはタスマニアサーモン、現地ではTASSALの通称で呼ばれているようで、そのHuonsalmonが養殖されているヒューオン川の河口であるHuonvilleに着いた。

そこは位置的に以下の画像の地図看板で赤く示された場所にある。

 

ヒューオン川の水は、よく見ると上左画像のようにタンニンが溶けて赤くなっている。 タンニンとは、植物の皮や種子、葉などから溶け出した物質で、黄色または淡褐色の水溶性多価フェノール酸を生じる混合物のことである。ヒューオン川に限らず、タスマニア西部の川は全てこのような赤い色の水らしい。タスマニア西部は古代植物の原生林として世界自然遺産の国立公園が多く、その古代植物の関係でタスマニア西部の多くの川が赤い色の水となっているようだ。

ヒューオン川の側を通る道を下り、養殖場が少しでも見えないかと探してみたけれど、残念ながらそれらしき施設はまったく見出すことが出来なかった。


結局この日は鮭の様子は一つも確認することは出来ず、渋々とホバートへ帰った。そしてSmoltというレストランで「tassal」の料理を注文して食べることにした。

 

tassal salmon cheviche,crisp radish,pickled fennel &celey goat curd cream $17.9 grill tassal salmon, faro & du puy lentil braise,chimcurri,cyorizo & herb salad $33.9

左はsmall platesのサラダ、右はmains platesのグリルである。

レストランSmoltではアトランティックサーモンを使用していたけれども、 下の画像は前日に別のレストランで食べたトラウトサーモンのグリルである。

Confit Citrus Ocean trout $33

前日のトラウトサーモンはどちらかと言えば少し生臭みの感じが残っていて、鮮度の問題かと思ったのだが、上のSmoltのものは同じような分量を二つに分けていて、このことによって火の通りを良くする工夫をしているのではないかと思った。

ちなみに下の画像は翌々日のフィッシュマーケットでの光景であるが、

アトランサーモンが $17/kg、トラウトサーモンは $19.5/kgだったから10月末のオーストラリアドルを93円と見て日本円に換算すると、アトランサーモンが1,581円/kg、トラウトサーモンは1,813円/kgということになる。

ブランドは日本でもお馴染みのHuon社のものだから品質は問題ないと思われるが、価格からすると現地だからと言って特別安いわけでもないという印象である。鮭の価格だけでなくオーストラリアの物価は「ほとんど日本よりも割高」だと感じた。

例えばシドニーのシティレールという電車は一駅最低区間で$3.6(335円)の高さだ。レストランでの食事は、ほんの軽いもので$15(1,400円)〜$19(1,800円)はするし、メイン料理の一皿は贅沢をしなくても大体$35(3,300円)前後はするので、レストランでの夕食は、二人で軽く1万円超えを覚悟しておかなければ満足はできない。魚料理だから高いというのではなく、肉料理でも同じように$30は超える。

オーストラリアは白豪主義時代からの影響によって働く人口が多いとは言えないお国柄、どうしても人件費を全般的に高くせざるを得ない事情があるようで、高い人件費がそのまま価格に上乗せされ、全般的な割高感へとつながっているようだ。

白豪主義とは(オーストラリア発見より抜粋) 

19世紀の初頭まではオーストラリアへの入国に関して人種による規制は設けられていませんでした。

 しかし中国から数多くの金採掘業者が入ってくるようになって、非ヨーロッパ系移民に対する反発が強まり、1901年に発足した移民制限法によって「白豪主義政策」が20世紀の後半まで続くことになり、 この政策によってアジア、アフリカの人々がオーストラリアへの移民対象から除外されることになりました。

 政府は公然と人種差別政策が行われている事実を隠蔽するため、移民資格試験を設けました。これは移民審査官が移民申請者のヨーロッパ言語理解能力を試すもので、事実上形式だけの検査でした。試験の際に審査官が移民申請者を受け入れたくないと判断すれば、その場で申請者が話すことが出来ないと思われる言語を選んで質問しました。場合によってはゲール語(アイルランド等で用いられたケルト諸派諸語の1つ)やトランシルバニア語など非常にまれな言語が使用されることもありました。

  一方既にオーストラリアにいたイギリス系以外の国民は、自分の出身地にかかわらずイギリス系中心の社会とその文化に同化することが求められました。つまり、英語を話し優位を占めていたアングロサクソン系オーストラリア人の社会的習慣に従うことが求められました。また当時のアボリジニには多くの基本的権利が認められていませんでした。

 しかし、その後の政府は経済上の必要性から移民政策の制限を徐々にゆるめざるを得なくなりました。特に第2次世界大戦後の経済復興と急速な経済発展の時期には、人口の少ないオーストラリアでは、海外からの労働力を必要としました。そこで未熟練労働者を移民として積極的に受け入れ始めたのです。

 その後経済文化面でアジアとの結び付きが徐々に強まるにつれ、白豪主義は国民の間からも、また政府内でもオーストラリアの民主社会における平等主義の原理に反すると考えられるようになりました。

 白豪主義が公式に撤廃されたのは1972年でしたが、白豪主義は1950年代と1960年代を通して次第にその影響が弱まっていきました。

 第2次世界大戦の直後は、受け入れ移民のほぼ4分の3がイギリス、アイルランドの出身でしたが、1960年代半ばまでにはこの割合が40%まで減少し、そのかわりにその他のヨーロッパからの移民(主に南ヨーロッパ)が同じくらいの割合を占めるようになりました。

 1970年代以降は、アジア人のオーストラリアへの移住が急激に増加しました。またオーストラリアはベトナム戦争後、多数のインドシナ難民を受け入れました。 現代のオーストラリアでは移民の受け入れが推奨され、人種、性別、肌の色、年齢にかかわらず、全ての国民に平等な権利が法律で保障されています。

 言論の自由や文化、宗教の自由といった人権の保障に加え、国民は地域社会におけるサービスや手当などを平等に受ける権利と、雇用機会の平等が保障されています。議会政治や法律制度と英語が、多様な民族で成り立つオーストラリア社会をまとめています。

物価高の国オーストラリアは上記説明にあるように今は移民を積極的に受け入れており、シドニー市内では中国系の人達がやたら多く何処に行っても目立っていた。アフリカ系人種の存在感は希薄なものの、インド系の黒くて彫りの深い顔の人も多く、またスペイン語やロシア語、イタリア語など様々な言語もシドニーでは飛び交っている。まさに世界中から様々な民族がオーストラリアに集まってきているという感じである。


さて話を魚のことに戻そう。タスマニアの水産物で忘れてはならないのはカキであろう。

oyster plate dressed & natural jumbo, micro & standard oysters $23.9

これもホバートのSmoltというレストランで注文したものだが、大きさが大中小に分かれ、ドレッシングの味が3種類になって楽しめた。

タスマニアのカキは歴史が古く、タスマニアンアボリジニの重要な食料であった証拠が、アボリジニの生活跡である貝塚に大量のカキ殻の痕跡として残っているということだ。しかし現在のタスマニアカキは本来の昔からある野生のカキではなく、日本がオーストラリアへ戦後賠償の一つとして広島などから移植したカキということだ。

タスマニアの養殖方法は日本の筏からの「垂下方式」と違っていて、浅い入り江で杭を打ち、その杭にのせた籠の中で育てる「棚方式」ということである。引き潮になるとカキが水の上に出てきて餌を食べることが出来なくなるが、空気にさらされて成長が遅くなる分、元気で健康なカキになるということだ。

シドニーフィッシュマーケットではカキの大きさで分けられて売られていたが、このカキもスーパーの魚売場で売られているのを見ることは少なく、家庭で食べる庶民的なものではなく、専らレストランで食べる位置づけのようだった。

このように基本的にはタスマニアの住人が魚をよく食べているといった感じはなく、北海道ほどの大きさの海に囲まれた島でも海産物を活用した食習慣は無いようだった。


さて次にシドニーの方であるが、お魚事情はタスマニアとほぼ似たようなもので、英連邦の国はやはり食習慣も英国の影響の元にあるようである。

しかし、やはりシドニーは人口450万人を超える大都会であり、それだけ胃袋事情も巨大であるからフィッシュマーケットが存在する意味があるようだ。

これがシドニーフィッシュマーケット(魚市場)の外観である。オーストラリア最大の鮮魚卸売・小売市場である。鮮魚の仲買人や外食産業の仕入れ担当者だけではなく一般市民や観光客で賑わっている。

人口約450万人のシドニー広域エリアでの水産物ニーズをほぼ独占し、2008/2009年度の水産物販売量は1万3,600トン、売上げは1億5,200万豪ドル。公式ウェブサイトによると「規模は南半球で最大」とのことだ。

競りにかけられる魚は毎日100種類以上で、日本を除くと世界で2番目に多いらしい。仲買業者向けの競売施設のほか、一般客向けの鮮魚店や青果店、デリカテッセン、レストラン、カフェなどが入居しており、小売店舗数は20軒以上、競売・小売の総面積は9,812平方メートルの大きさである。

シドニーは入り組んだリアス式海岸が多いため環境規制で漁業が厳しく制限されている。このため漁港や魚市場といった魚介類供給源や流通拠点はシドニー市外では見られない。海沿いに立地するシーフード・レストランや鮮魚店であっても、目の前の海で捕れた魚をそのまま店頭で提供するような所はほとんどなく、店に供給される魚の大半はシドニーフィッシュマーケットに依存しているようだ。


中に入ると大きなワンフロアーがあって、大きな電光掲示板が天井から吊り下げられ、その前には階段場の長椅子が並んでおり、そこにたくさんのバイヤーと呼ばれる人が、電光掲示板と向き合うようにして座っている。

 

その巨大な電光掲示板と階段場の長椅子の間の地面に魚が並んでいるのだ。日本でも多くの青果市場で行われている方式と同じだと思えば良いだろう。

上の左画像はそのセリ場にズケズケと勝手に入り込んで撮った写真であり、直ぐに関係者らしき人が飛んできて「ここに入るな、写真もダメ」と追い出された。そこで食堂のガラス窓から撮ったのが右画像で、赤いスケルトン文字も写ってしまった。

ガラス窓を隔ててカフェ風食堂があり、そこはフィッシュマーケット関係者だけでなく、一般の買い出し人や観光客を相手に商売しているレストランが何軒かあるようだった。そして、レストランと交互に入り乱れて魚屋さんが何軒も同じ棟に入っていた。

 

時間的にはまだ6時を過ぎたばかりで、魚屋さんの店頭にはこれから魚が並ぶ時間であり、充分な魚があるとは言えなかったけれど、既に臨戦態勢へと向かいつつある状態だった。

魚屋さんはその大きな棟だけではなく、外にも独立した建物の魚屋が何軒かあった。

 

その一つはClaudio'sという魚屋さんで、入口を入ると直ぐ目の前に赤いエビとカニが、一番目立つ場所にズラリと並んでいて目を引いているのが印象的だった。

そして、その正面から左右に分かれて楕円形にショーケースが並んでおり、楕円形のショーケース内側は調理のための作業場となっている。

壁際も含めてケースにはしっかりと打ち氷がされ、その上に様々な魚が陳列されていた。

このClaudio'sは、もう一つ独立した棟の Musumeci とはライバル関係にあるようで、下の二枚の画像(左 Claudio's、右Musumeci )のアトランサーモンが示しているように、価格的には微妙な価格差で張り合っているのは間違いないようだった。

  

シドニーフィッシュマーケットの中に全部でいくつの魚屋さんがあるのか、一つ一つ数えたわけではないので正確なことのは分からないけれども、お互いの店がこのような形で価格の張り合いをしながら切磋琢磨しているようだった。

それらの魚売場では以下の画像のように、色々な魚が販売されていた。

  

トラウトサーモン1,860円/kg サバ 744円/kg ヤリイカ2,418円/kg

  

ホシガツオ1,767円/kg 青アジ 651円/kg 沖サワラ1,860円/kg

  

ヘダイ 1,860円/kg シルバーパーチ 1,581円/kg 真ダイ 1,302円/kg

  

フィーレ及び輪切り各種 スズキなどフィーレ各種 キハダマグロ2,325円/kg

この画像のように冷凍をしていない丸魚からフィーレ、ブロックまで、様々な生魚商品が並んでいたのだが、その中でたぶん今から時流に乗って、売上を伸ばす中心商品になっていくだろうと感じたのが以下の画像だ。

 

「Sashimi Bar」と名づけられたコーナーの下で中国人らしき女性が、マグロの冊から刺身を引いて商品化していたのだった。

冊の種類や数もこんな程度で少しは刺身商品もあったが、まだその存在感は希薄であり、刺身商品はこれから位置づけも変わっていくであろうと感じるものがあった。

それというのも、この看板にあるように魚市場の2階には魚の料理教室があるようで、そこでは seafood school が週に何回か開かれているとのことだ。

火を通した魚料理だけではなく、魚のさばき方や刺身などもコースに入っているようで、それなりに数多くの参加者もあるようだった。

現在のオーストラリアにおける「魚食」というのは、その「存在感」は非常に薄いが、大都会シドニーでは至る所で健康面からジョギングする人を数多く見かけたように、これからは健康の観点からシーフードに関心が高くなっていくに違いないと感じた。


しかし今はフィッシュ・アンド・チップスの価格が2,600円もの高さという現実があり、まだオーストラリアでの魚食大衆化は価格がネックになって時間がかかりそうである。

Fishs & chipps $27.5

その一方、日本の和食や寿司の店はシドニー市内でもそれほど多いとは思えなかったが、数少ない和食の一つとしてテイクアウト寿司店を市内中心部のシティで見つけた。

 

ここでも「写真を撮るな!」と怒られてしまったが、既に何枚か写真は撮った後だった。

これらの寿司商品は、裏巻きが1本325円、裏巻きとにぎりセット8ケ入り700円、裏巻き各種カットのセットが8ケ入り700円、サーモンにぎりセット各種880円というように、こちらのほうは随分とリーズナブルな価格帯だと感じた。たぶんレストランではなくテイクアウトだから出来る価格なのだろうと判断した。

店主の中国人男性に撮影を咎められ商品を購入しなかったので味は確認していないが、見た目も華やかでボリュームと価格のバランスも良く、今回一番の可能性を感じた。

鉱物資源大国であり、農業畜産大国でもあるオーストラリアは、未だ魚食大国の片鱗も見えていないけれど、これからシーフードの需要が高くなるのは、北半球欧米諸国の動きからしてもたぶん間違いないであろう。

その時シドニーフィッシュマーケットの役割がどのようになっていくのか、その行く末は楽しみなものがある。


更新日時 平成25年11月1日



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